ライブチャットの誕生とこれまでの歴史

アダルト業者の驚くべき探究心

今でこそネットで自分の映像、番組を生配信することはとても簡単ですが、一昔前はそうではありませんでした
回線のスピードは遅いしフラッシュなどの技術もまだまだ低く高価だったため、満足のいく映像配信なんてできなかったのです。

映像をネットで配信するためには膨大な帯域が必要なため、回線を圧迫し、コストが膨大にかかりました。
ライブチャットの技術はAdobeのフラッシュが使われているのですが、そのフラッシュのライセンス費用も膨大で、今のように無料で利用できるなんてあり得ませんでした。
もしやったとしたら1日でその会社は吹っ飛んでしまったでしょう。

ですので、せっかく技術があっても高価で誰も手出しできない。そんな分野が一昔前のライブチャットだったのです。

しかし、そんなライブチャットをあきらめずに今日までがんばって開発し続け、利用してきた分野の業者たちがいました。

そうなんです。歴史を見るとやっぱりそれはアダルト業者です。別ページでも私が「アダルト業界が今日のネット技術を作った。」と断言しましたが、
この映像生配信技術もやはりアダルト業者の絶対にあきらめない探究心が作り上げたものだと思っています。

ライブチャットとadobeのフラッシュの歴史

ダイヤルQ2のダイヤルアップ回線時代から次世代の映像配信型チャットを考えている奴がいた。

これは絶対金になる

ライブチャットを歴史を語る前に、まずはライブチャットが生まれるまでの歴史を話さなければなりません。

インターネットが一般家庭に進出し始めた20年前に話はさかのぼります。当時は、画像一枚表示するだけでも数分かかるダイヤルトーンの時代。
ダイヤルQ2などを使ったブロードバンド回線でアダルト画像をネットに表示させるアダルトサイトが誕生します。

その頃は、まだまだインフラ整備もなく技術も無い時代ですので、ユーザー間のやりとりは当然テキストメール。
その中でも今は亡きAOLやMSNのテキストチャットが開発され、革命を起こしました。まだまだウェブカメラやノートパソコンも復旧していない時代ですので、生中継で動画を配信するなんて想像もできない時代ですね。

そんな中、今では超有名になった海外のある会社がダイヤルQ2を利用したアダルトサイトで一世風靡します。当時を知る人は、電話回線で海外につながりアダルトサイトを閲覧していたことを思い出せる人もいるのではないでしょうか?

その会社が、今ではカリビアンコムDXライブを排出しアダルト業界トップに君臨しているDTIサービス社です。
そのDTIサービス社がダイヤルQ2などの時代から目をつけていたのがチャットサービスでした。

アダルト業界の最先端にいる人は考えるものです。そんな人がいつも歴史を作ります。

「アダルト動画を生中継で配信することはできないだろうか?これは絶対に金になる!」(セリフは私の想像ですw。)

全ての始まりはガールズオンエアー

2002年に登場した当時のガールズオンエアー

そうしてDTIサービス社は映像配信のツールとしてフラッシュに目をつけ、フラッシュの開発元であるAdobe社に話をして、AdobeとDTIサービス社との共同開発が始まりました。

録画した動画コンテンツではなく、生中継で、今発生しているリアルタイムの映像を届ける。これはとてつもなく難しい試練だったに違いありません。

こうして数年の年月が経ち、やっと完成したのがガールズオンエアーというサイトでした。ガールズオンエアーというサイトは今はもうありませんが、
ノンアダルト系のサイトで、女性が配信者となり、男性とお話しをするネットキャバクラのような立ち位置でした。

このガールズオンエアーというサイトが無ければ、今のライブチャットの歴史は無かったかもしれません。

オンラインになった女性のサムネイル画像がトップページに掲載され、クリックしたら無料で数秒の映像が流れる。そしてチャットを行うには100円/分の料金を支払って男性ユーザーが女性配信者とおしゃべりをする
現代のライブチャットの基本仕様となっている原型がこの時生まれました。

この画期的な開発により、フラッシュを用いた生中継の映像配信技術が生まれ、それからのネット業界の起爆剤となったのです。

※この記事はDTIサービス社で働いていた元社員に取材して聞いた話をもとに作成しました。

DXライブの誕生

2003年当時のDXLIVE

ほどなくして、ガールズオンエアーを運営するDTI社の米国支社(米国が本社で日本が支社なのかも)で今でも超有名で現存する過激なアダルトライブチャット「DXライブ」が2002年にスタートします。

ちなみにDXライブのDXは「デラックス」という意味らしいです。これがまた爆発的人気となり、それに味をしめたのか、DXライブの姉妹サイトである「EXショット」ライブが2003年にスタートします。
EXショットのEXは「エクセレント」という意味らしいです。EXショットはDXライブの高級版という位置づけでありサイトもエレガントな感じですが、システムや料金に違いはあまりありませんでした。

当時はライブチャットを運営するサイト側が1分あたりの料金を決めており、1分あたりの料金は定額となっていました。1分は約250円(2ショット約500円)という値段でした。

2004年、新ライブチャットが乱立!
怒涛のライブチャット戦国時代が到来

2000年ごろからITバブルが始まり、2004年はネット業界の絶頂期でした。インターネットでは何をやっても金になる。そんな時代だったように思います。

情報商材商法が広まり、アフィリエイトという言葉も浸透し始め、楽天、アマゾン、ライブドア、YAHOOなどの企業が一気に長者となりました。ライブドアのホリエモン氏は
残念ながら失脚しましたが、それでも当時の私は堀江氏などの考え方を勉強しながらIT関連サービスを次々と立ち上げてある程度成功しました。

ITバブルが始まる

この頃、アダルト業界も大幅に技術が上昇しました。ダイヤルアップ回線からASDL、そして光り回線の登場によってスピードが格段に上がったため、より高画質で高クオリティーな動画配信が可能になったのです。

このIT革命の波にのって、当然業者はアダルトサイトにも注目します。

それまではDTIサービス社グループサイトの一人勝ちだった業界でしたが、ライブチャット業界にも様々な企業が参入してきます。

2002年(正確には2001年12月26日)に初めて登場したガールズオンエアー、そして過激アダルトライブチャットのDXライブ。それに追随した姉妹サイトのEXショット。

そして2004年から天下夢想のライブチャット業界の戦国時代が始まります。DTIという大大名に隠れて目立っていなかった小県が反乱を起こし、それまで幅を利かせていた大名を駆逐していずれ自らも大名となっていくのです。

天下夢想のライブチャット戦国時代

ノンアダルト業界はスリートップで世の中が動いていたのだが・・・

ガールズオンエアーの対抗サイトとしてまず現れたのはBBチャット(2004年~)です。ガールズオンエアーとほぼ同じシステム、仕組みでしたが既に肥大化して身動きがとりにくくなったガールズオンエアーに対して迅速な戦術を駆使して翻弄し、わずか数ヶ月でガールズオンエアーと並び称されるサイトへと成長します。

その後現れたのがライブデゴーゴー(2004年~)。こちらのサイトはBBチャットから一歩遅れていましたが、他社サイト上でのパフォーマーへのスカウトや嫌がらせなどの心理戦を多用し、
多少強引なやり方で敵をつくりましたが、2005年にかけて一気にそれに匹敵するサイトになりました。

2005年のノンアダルト業界は、ガールズオンエアー、BBチャット、ライブデゴーゴーのスリートップで三つ巴の三国志を繰り広げていました。

ライブチャット三国志

しかし、慢心していたガールズオンエアー、勢いに乗りすぎて後ろを見ていなかったBBチャット、強引なやり方で敵を作っていたライブデゴーゴーとは別に、
土台をしっかりと作りながらユーザーへの的確な対応で満足度を上げ、徐々に力をつけてきたサイトが突然有名になりはじめました。

マシェリ(2004年~)の台東です。今でこそノンアダルト系No1のマシェリですが、結構遅咲きだったのですね。
まるで我慢に我慢を重ねておいしいところを持っていった徳川家康のようなサイトです。マシュエリの台東で2006年ごろから、スリートップだった勢力図が崩れました

天下を獲ったマシェリ

これにより、老舗でライブチャットの先駆けであったガールズオンエアーの売上が低下し迷走を始めます。ガールズオンエアーはDTIジャパンから離脱し、決済&アフィリエイトをJパスポートという新生グループに託します。

しかし、時は既に遅し。肥大化したサイトはやはり時代の流れについていけず、それから衰退の一歩をたどり、2008年にはついにガールズオンエアーは閉鎖されてしまいました。

それからマシェリの侵攻を止めるサイトは現れず、現在はノンアダルト業界No1のサイトとして君臨しています。今では素人ライブチャットというコンセプトからも脱却し、
芸能人やアイドルなども出演する生放送ネット番組放送局というイメージも確立させました。

今のところ、対抗馬になるサイトはおらずマシェリの一本勝ちという業界勢力図になっています。

アダルトライブチャットの歴史は海外勢の天下

アダルトは日本では規制が厳しいため、業界が盛んになっていくまでノンアダルトに比べると時間がかかったように思います。

DXライブ(2002年~)、EXショット(2003年~)の2サイトが長い間独占状態でした。というのも、この2サイトを運営する会社は米国にあったため、国内のアダルト規制を免れることができたためです。
日本では局部の露出はできませんが米国では可能だったため、リアルタイムで局部を見せるパフォーマーは気をつかう必要がなく仕事が楽でユーザーにも好まれていたのかもしれません。

しかし、国内でもアダルト系ライブチャットが存在していなかったわけではありません。2004年には、ノンアダルトと同じくたくさんのアダルトライブチャットサイトがスタートしています。

エンジェルライブ(2004年~)、ショーガール(2004年~2010年)、DMMライブチャット(2004年~)などが国内でスタートしました。
これらのサイトは当時、さほど良いサイトではありませんでした。しょぼいデザインにカクカクした配信映像。DXライブに比べるとおおよそ楽しめるサイトではなかったのです。
その理由は、海外に比べて日本ではフラッシュのライセンスや回線、サーバー費用が非常に高かかったため、高画質映像を流せなかったなどの理由もあるようです。

しかし、これらのサイトも2007~2008年頃から人気を伸ばしてきました。その前に、ライブチャットの歴史を語る上で絶対に語らないといけない悲劇の幻サイトについてお話します。

幻の神サイトACAM、時代を先取りしすぎた天才運営者の悲劇。

幻の神サイトACAM

今では亡き「ACAM」というサイトが2005年にひっそりと誕生していたのをご存知でしょうか?ACAMというサイトはガールズオンエアーが迷走している際に加入した決済アフィリエイトグループのJパスポートに加盟していて、わずか3年ほどで短い生涯を終えた幻の神サイトです。

このサイトがなぜ神サイトであったかというと、今ではアダルトライブチャットでは抜きんでているFC2ライブが流行った理由として画期的な根幹的システムである、配信者が一分の料金を自由に決めることができるというサービスを始めて行ったサイトだからです。

2005年当時、1分当たりの料金は全てサイト側が決めた固定料金となっていました。そこはやはりダイヤルQ2時代の名残だったのかもしれません。
電話料金が1分いくらと決まっているように、ライブチャットもサイトによって一律で1分いくらと決まっていたのです。

そこに風穴を開けたかったのでしょう。JパスポートのACAMは当時誰も考えなかった、配信者(パフォーマー)が自分の料金は自分で決めるというシステムを開発、採用しました。
ところが、時代はまだそこに追いついていなかった・・・。配信者が自分の値段を決めるなんておこがましい、などといった意見もよせられ、人気がでることなく撃沈。
あと数年がんばって運営していれば、今のFC2ライブに匹敵するサイトになっていたかもしれません。まったく惜しいことをしました。

2007年にACAMライブチャットは閉鎖されました。

日本国内の運営サイト、エンジェルライブ、DMMライブが席巻!

国内勢が強い!国内3サイトが席巻!

2007年までは海外勢の勢いが衰えることなく独占状態でしたが、2008年ごろから日本国内運営サイトが頭角を現し始め、DTI社が運営するDXライブ、カリビアンコムガールなどの天下が終わりを告げます。

まず台頭してきたのはエンジェルライブです。エンジェルライブがスタートしたのは2003年頃で、運営歴は非常に長いサイトです。当初はライブチャットといった感じのサイトではなく、
女の子の部屋を覗いちゃおうみたいなサイトでした。2004年ごろからライブチャットの形式に落ち着き、地道に力をつけてきました。

それと同時に、日本No.1のアダルトサイトであるDMMがライブチャットに力を入れ始め、こちらも一気に力を伸ばしました。DMMはさすがに圧倒的な資金力と人的リソースがありますので、力を入れ始めてからトップの座に就くまでのスピードはすさまじいほどのものでした。

海外勢のDXライブやカリビアンコムガールと違って局部を出すことはできないので、エンジェルライブやDMMライブチャットは常にユーザーの配信を監視し、局部が見えたら警告を出したり、配信者(チャットレディー)を退会にするなど、細かい対応をしながら伸ばしてきました。
最初は配信者もメンドクサイと感じてこれらのサイトを利用してこなかったのですが、細かな対応と心配り、さらに国内企業という安心感をアピールして徐々にシェアを広げ、2008年頃にはDXライブを超えるサイトとなりました。

さらに、これら国内企業が行った画期的なことは、DXライブなどは運営が海外にあるため個人パフォーマーをターゲットにアフィリエイトで配信者の募集しかできていなかったのに対して、
エンジェルライブやDMMライブチャットは国内で合法的に営業できる環境であることから、国内でプロダクションなどを作成し、直接募集を行うことに成功したことです。
これにより、チャットレディーが集まるプロダクションというビジネススタイルができ、それ以降、個人で行うチャットレディーよりプロダクションに所属して配信を行うチャットレディーが爆発的に増加しました。

DXライブなどは海外であるため、プロダクション対応が遅れてしまい、多くの配信者を逃す形となりました。さらに、DXライブの配信者への報酬率が30%だったのに対して、
エンジェルライブやDMMライブは50%をチャットレディーへ、さらに売り上げの高いプロダクションへは最大65%ほどの還元率を上げることで配信者が増加。
女のいるところに男は集まるものです。これで売上を伸ばし勢力図が書き換えられました。

経営者逮捕で消えたショーガール

ちなみに、今でも残っているライブチャットジュエルというサイトがありますが、このサイトの前進であるショーガールというサイトも
人気サイトの一つだったのですが、国内で運営しているにも関わらずDXライブのように局部を配信してしまい運営者が逮捕。

そしてショーガールも閉鎖。現在はジュエルというサイト名に代わって運営されていますが、これにより首位争いから脱落。現在も運営されていますが利用者は少ないです。

ショーガールで逮捕
http://itest.2ch.net/test/read.cgi/erolive/1239752636/81

※「1対1」でも公然わいせつと判断して警察は逮捕したが処分保留(不起訴)で釈放されているので、「1対1」で公然わいせつと裁判で判断される可能性は今のところ少ないと思います。
警察の見せしめ逮捕だった可能性が非常に強いですね。もしくは、単純に運営者が警察に目をつけられていただけかもしれません。

FC2の登場で独占状態に!

FC2ライブの独占状態

そして2012年、FC2ライブチャットが姿を現します。戦国時代を勝ち抜いたライブチャットサイトが安心していたのも束の間、新しい勢力はやはり海外からやってくるものです。

ACAMの機能を引き継いだ、配信者が料金を決めるという画期的なシステム、無料でもチャットができるようにしたアイデア、さらにアダルト属性のユーザーを多く抱えていたことから
スタートしてたったの2年で全てのサイトを飲みこみ、特にDTIグループのシェアを奪って一気に独占状態となりました。

そのせいか、DXライブの客数は激減、そしてカリビアンコムガールは閉鎖。
エンジェルライブやDMMライブもかなりの客を奪われ、売上低下はすさまじい勢いだったそうです。

2015年、FC2の独占状態が続きました。しかし、その牙城は大変脆いものでした。FC2というのは海外で運営しているとしながら実は日本の大阪にある
ホームページシステム社が運営していることが分かり、社長とFC2の創始者(弟)が逮捕、創始者(兄)へも逮捕状がでます。さらにFC2に登録していたプロダクションの
情報が警察に全て押収されたことから、プロダクションにも逮捕者が続出

FC2はダミー会社で実際は大阪運営だった?

これによりFC2がつぶれると危惧されましたが、今のところ何にもなく2016年現在はまた勢いを取り戻して最強の無法地帯サイトとして君臨しています。
しかし、ホームページシステム社のホームページも情報がごっそりと消され、社長不在と警察介入でどうなるか分からない綱渡り状態が続いています。

FC2でチャット出演したらかなり儲かる。著作権違反し放題。安くて過激なコンテンツ。そんな無法地帯のサイトですから、そりゃあ人は集まります。
しかし、ここで稼いだり、遊んだりするのは大変危険です。大阪にデータがあるなら警察が全て押収していますので。

ある日の早朝、呼び鈴がなったから出てみるとガサ状をもった警察が・・・なんてことにならないよう、私はFC2の利用はオススメしません。

ただし、ここで勘違いしないでほしいのは、海外サイトが危険だということではなく、海外と装って日本で運営していたFC2が危ないのであって、
海外で合法的に運営しているDXライブやライブチャットTVからは、そもそも合法なので絶対にユーザー情報やプロダクション情報は日本の警察へ出てきません
そのあたりの理解をしっかりとしていきましょう。

FC2のウィークポイントを解決。ライブチャットTVの登場

ライブチャットTVの登場

2016年4月1日、ひっそりとライブチャットTVというサイトがスタートしました。4月現在、スタートしたばかりなので人もいません。配信者もいなければユーザーもいない。画質やスピードもいまいち。

しかし、Acamの配信者が料金を自由設定できる機能や、無料配信から有料配信の切り替えなど、FC2で人気の機能を引き継ぎ、サイトとしては素晴らしいものとなっています。

普通なら「あー、また新しいサイトが始まったけど、いずれつぶれていくんだろうなぁ」と思うところですが、FC2が危険な臭いをプンプンさせているこのタイミングでの登場は大変期待するところがあります。

ライブチャットTVは海外運営。早速取材したところによると、ライブチャットTVはFC2のように日本に支店や代理店があるわけではなく、完全に海外運営のようです。
ですので、ユーザー、プロダクション、配信者としては安心して利用できるところです。

DXライブでこれまで逮捕された人っていませんよね。これは、DXライブは完全に米国運営であり、日本の警察や弁護士から情報紹介を行っても、米国の裁判所からの令状がなければ情報を渡さないからです。
日本で無修正は違法ですが、米国では合法ですので、米国の裁判所が無修正配信で令状は絶対に出しません。ですから安心してDXライブを利用できるのです。

一方、日本で実質的運営を行っていたFC2に関しては、ホームページシステム社に情報がありますので警察は簡単に押収できます。だからFC2は危険なんです。

しかしFC2は運営がうまい!そのFC2の良いところと、DXライブの良いところをとったのがライブチャットTVです。さらにここの運営は東京熱で有名なJSKYグループに所属しているから安心ですね!

ちなみに、カリビアンコムを擁するDTIグループは、撮影者(男優、女優等)に逮捕者が過去にでています。しかし、東京熱も同じく老舗のサイトですがここから逮捕者はいまだかつて出ていません
相当法律に詳しい人物が舵を取っているのだと思います。

ということで、今はまだ人知れず存在している感のあるライブチャットTVですが、今後FC2の危険度が上がるにつれて徐々に人気になっていくと予想しています。
まだまだなサイトですが、アクセスは少しあるようですので、まずは同時視聴/同時配信などを行ってみてはいかがでしょうか?

そういえば、国内サイトのDMMライブやエンジェルライブなどは、なぜか他サイトへの同時配信を認めていないですが、FC2やライブチャットTVは同時配信を認めています

両サイトで同時に稼ぐために、そして遊ぶために、まずは同時視聴/配信を行いつつ、国内情勢を敏感に見守ってライブチャットTVへ徐々に移行していけば安心して遊べるのではないかと思案中です。

ライブチャットの歴史に影響を与えたサイト年表

サイト名 オープン 閉鎖
ガールズオンエアー 2002年 2008年
DXライブ 2002年
EXショット 2003年 2010年
人妻専門ライブチャットCHATPIA 2003年
BBチャット 2004年
マシェリ 2004年
エンジェルライブ 2004年
ライブデゴーゴー 2004年
カリビアンコムガール 2004年
マダムとおしゃべり館 2004年
DMMライブチャット 2004年
ACAM 2005年 2008年
ジュエル 2010年
感熟ライブ 2010年
FC2ライブ 2012年
ライブチャットTV 2016年
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